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マクドネル・ダグラス MD-90 : ミニ英和和英辞書
マクドネル・ダグラス MD-90[まくどねるだぐらすえむでぃー90]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


マクドネル・ダグラス MD-90 : ウィキペディア日本語版
マクドネル・ダグラス MD-90[まくどねるだぐらすえむでぃー90]

マクドネル・ダグラス MD-90 () は、アメリカ合衆国のかつて存在したマクドネル・ダグラスが開発・製造した双発ジェット旅客機である。
マクドネル・ダグラス社は1997年にボーイング社に吸収合併された。
ダグラスDC-9の発展型であるマクドネル・ダグラスMD-80をベースにさらに近代化したナローボディ機で、新型エンジンの採用により低騒音・低排気ガスを実現した。低翼配置の後退翼にリア・マウントのエンジン、T字尾翼という特徴がDC-9から引き継がれている。MD-90の巡航速度はマッハ0.76、全長は46.50メートル、全幅は32.87メートル、最大離陸重量はオプション採用時の最大値が76.2トン、標準座席数は2クラスで153席、1クラスで172席、降着装置は前輪式配置である。
MD-90は1989年11月に正式開発が決定され、1993年2月に初飛行、1995年4月にデルタ航空により初就航した。MD-90の総生産数は116機で、2000年10月に納入された機体を最後に生産を終えた。日本では日本エアシステムが1996年からMD-90を導入し、映画監督の黒澤明がデザインした7種類の虹の機体塗装が話題となった。日本エアシステムでは最終的に16機を導入し、後の日本航空との経営統合後も全機引き継がれたが、2013年3月末までに全機引退した。MD-90は、日本の航空会社が運航した最後のダグラス製旅客機であった。
2014年7月現在、75機のMD-90が就航しており、大半はデルタ航空による運用である。2015年2月現在、MD-90に関する航空事故および事件は3件発生しており、機体損失事故は2件、その内の1件で1名が死亡している。
本項では以下、ダグラス、マクドネル・ダグラス、ボーイングおよびエアバス製旅客機については社名を省略して英数字のみで表記する。たとえばダグラスDC-9は「DC-9」、ボーイング737は「737」、エアバスA320は「A320」とする。
== 沿革 ==

=== 開発の背景 ===

米国ダグラスは、同社で最初のジェット旅客機となるDC-8を開発した後、プロペラ機が担っていた小型旅客機市場に向けて、短距離用の小型ジェット旅客機のDC-9を開発した。DC-9シリーズで最初のモデルとなったのはDC-9-10で、1965年12月8日に初就航した。DC-9はエンジンを胴体尾部に左右1発ずつ配置したリア・マウント方式を採用し、T字型の尾翼を持ち、客席の通路が1本のナローボディ機であった。ダグラスはDC-9-10をベースに胴体延長型や最大離陸重量増加型といった派生型を開発してDC-9シリーズのラインナップを拡充した。1967年4月、ダグラスは同じ米国の航空機メーカーのマクドネルと合併してマクドネル・ダグラスとなった。
1970年代の中頃になると、150席級の旅客機の需要が高まると考えられるようになり、マクドネル・ダグラスはDC-9のさらなる胴体延長型を開発して対応しようとした。また、胴体延長と合わせて主翼の設計変更やエンジン更新も行うことになり、1977年10月14日に正式開発が決定し、DC-9スーパー80と呼ばれた。DC-9スーパー80の最初のモデルは1980年8月25日に型式証明を取得し、その年の10月に路線就航を開始した。1983年7月、マクドネル・ダグラスは製品名の変更を発表し、DC-9スーパー80はMD-80シリーズと呼ばれることとなった。MD-80シリーズでも胴体長や航続距離性能が異なるシリーズ機が開発された(表1)が、いずれもDC-9と同じ胴体断面を用い、リア・マウント方式のエンジン配置とT字尾翼という特徴もDC-9から引き継がれた。
1984年3月なると、欧州エアバスが完全に新設計となるA320の開発を決定し、150席級のジェット旅客機市場へ参入を決めた。また、1981年3月にはボーイングも737の発展型(737-300)の開発を決定しており、さらに後継機となる新型小型機の研究を進めていた。DC-9/MD-80シリーズは一定の市場シェアを獲得していたが、マクドネル・ダグラスはこれら競合他社の動きへの対応が必要となった。また、1973年の第1次オイルショックにより石油価格の高騰が予想され、旅客機も燃費向上が最重要課題となっていた。マクドネル・ダグラスは、MD-80のエンジンを超高バイパス比で大幅な燃料節約効果が期待されていたプロップファンに換装する機体案の検討を進め、この計画はMD-90と呼ばれた。1987年から1989年にかけて、エンジンメーカの実証プロップファンエンジンをMD-80の試験機に搭載し、飛行試験や展示飛行が行われた。プロップファンは実用化に向けて着々と開発が進められたが、航空会社からの反応は否定的であった。石油危機が過ぎ去り燃料価格が安定したことに加え、信頼性や騒音が心配されたことなどから、結局プロップファンを装備する計画は中止された。
一方、A320は先進的な操縦システムを実用化し、1987年2月に初飛行に成功、1988年には型式証明を取得し航空会社への引き渡しが開始されていた。MD-80のJT8Dエンジンは基本設計が1950年代のものであり、マクドネル・ダグラスは、改めてMD-80のエンジン換装の検討を行った。候補となったエンジンは2種類あり、CFMインターナショナルCFM56と、5か国のエンジンメーカーの国際合弁会社であるインターナショナル・エアロ・エンジンズ(以下、IAE)社のV2500であった。CFM56は既に十分な実績があったが、マクドネル・ダグラスは、新規開発で将来性があり出力増強型の開発が進行していたV2500エンジンを採用した。
V2500を装備した機体計画はMD-90Vと名付けられ、1989年6月のパリ航空ショーで発表された。その後モデル名や細かい機体案が修正され、座席数153席で、航続距離が4,200キロメートルのMD-90-30と、燃料搭載量を増やして航続距離を5,600キロメートルに延ばすMD-90-50を開発する計画となった。
1989年11月14日、マクドネル・ダグラスはMD-90の正式開発を決定したが、この時点では確定受注は得ていなかった。DC-9やMD-80の実績から、開発を進めれば受注が付くとの判断による決定であった。実際に翌年までにデルタ航空日本エアシステムアラスカ航空から受注を獲得し、この3社がローンチカスタマーとなった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マクドネル・ダグラス MD-90」の詳細全文を読む




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